第54回 岡山勇吉という人 

今月14日に岡山勇吉さんという方の7回忌トリビュートライブがありました。

http://www.raindogs-web.com/raindogs/live6.html

立命館大学生と同志社大学生出身の佐竹俊郎さん、星野 彬さんの三人で
京都で結成された、フォーク・グループの『ウッディー・ウー』。
69年に日本コロ ムビアから『今はもう誰も』でデビューされた方です。
確か、ヤンタン(大阪ローカル局の人気ラジオ番組)の一番最初の
今月の歌に選ばれていたと思います。(間違ってたらすみません)


アリスの大ヒットでご存じの方も多いと思います。

ネットで調べると、こんなコンサートにも出演されておられました。


http://www.geocities.jp/folk26knife/sensonotknow.htm

77年8月にはソロ・アルバムもリリースされた様です。



初めて私が、岡山さんの経営されているお店『City West』に伺ったのは
約13年前。

当時、『ブルース・マーケット』という情報誌があり、ブルースが聴けるライブハウス
バーなどが紹介されておりました。

当時、ブルースと名前がつけば、色んな店に行っていた私でしたが、
梅田にある『City West』という店を知らなくて、親友を誘って飲みに行きました。

お店は太融寺の裏、二階にありました。看板を見落とすと通り過ぎてしまいわかりません。
でも当時、開店されて20年目ぐらいだったと思います。老舗ですね。

私が常連(おこがましいですが)になってから、初めて店に来る知人によく場所を
説明したもんです。

二階にあがると(店が二階なんですが)カウンターとテーブル席があります。

店に何回か行くようになってからわかったんですが、一見さんは、
何故かカウンターの一番奥の席に座るんですねえ。店の玄関から一番遠い所です。
普通、早く帰りたかったら玄関のすぐ近くに座ると思うのですが、違うか?


岡山さんは、お店を営業されているにもかかわらず『いらっしゃいませ』が言えません。


一見さんは、そんな愛想の悪い店に入ってしまった後悔と、文句を言おうモノなら
殺されかねないマスターの殺気に(客商売で殺気を放っている人はたぶんこの人ぐらいでしょう)
たじろいでしまい、ビール一本飲んで、法外な?金額を支払ってすごすごと帰られる光景を
よく目に致しました。

初めて行ったとき我々は、カウンターのど真ん中に座りました。

今考えると怖いモノ知らずでしたねえ。



ただ、その時、カウンターにはマスター1人ではなく、鈴木さんというサポートがおられ、
その方がなんとなく話しかけてくださったのだと思います。

そして、店内にはドラムセットをはじめ、すぐにでも演奏出来る機材が揃っております。

怖いモノ知らず(いや、日常は気の弱い男なんですよ、トホホ)の私はマスターに出演交渉を
してみます。

私『あのー、ブルース・マーケットで見たんですが、ライブやっておられるんですよね?』

岡山さん『やってるよ』

私『出演させて欲しいんですが』

岡山さん『ええよ』

私『えーと、デモテープとかお持ちしたらいいんですか?』

岡山さん『そんなもんいらん。演ったらええねん』

私、未だにバンドをやってますが、こんなに短い出演交渉は未だにありません。
で、やっぱりちょっと怖かったです。


『どんな音楽やってんねや?』と聞かれたので『戦前のジャンプ・ブルースです』
と答えると、『ああ、うちにもそんなバンド出てるぞ』とのこと。

こ、これは珍しい。その時期は確かお盆休み中。今でも続いているイベントですが
夏、山でキャンプをしながら、ライブをするという行事があり、ちょうど終わった直後。
映像があったので、そのジャンプ・バンドの演奏を見せてもらいました。


相当、の我々のバンドと選曲がダブっていたのを思い出します。


ここから、おつき合いが始まりました。

が、

ライブで出演させて頂くようになったのですが、何故かしばらくプライベートで
飲みには行きませんでした。

何で、急に飲みに行くようになったのかわかりませんが、病みつきになりました。

岡山さんをはじめ、常連のお客さんと色んな話しをするのが本当に楽しかったです、
毎日行ってました。

当時、あの場所へ行くために毎日仕事してたといっても過言ではありません

楽しいと岡山さんは大声で笑います。

その笑い声を聞きたいがために開店間際(18時)からよく行ってました。

私の30代はシティウエスト一色でした。



岡山さんがレコーディング・アーティストであるということは、常連さんにうかがいました。

岡山さんの歌声を聴いてから、だいぶ後の事です。

岡山さんは、ブルース、R&B、または、それを基調とした音楽がお好きでした。

最初ライブを見る前ははっきり言って期待してませんでしたが・・・

本当に素晴らしい歌声でした。私の理想と言っても過言ではありません。

凄かったです。たぶん歌によっては泣いてたような気がします。


でも、日常の中では、そんな事を自慢したりする人ではありませんでした。

店ではみんな平等、地位も名誉も関係ないというのが、岡山さんの考え方でした。


あと、色んな所で我々のバンドの事を紹介してもらいました。

しばらく、レギュラーで月一回、ハウスバンドとして出演もしておりました。


晩年、大病をされても、病院から電話をかけてきてくださったり、本当に気をつかって
もらいました。私もその時期転職したり自分の生活に必死で、気にはなっていたのですが、
お見舞いにあまり行けなかったのが心残りです。

まあ、岡山さんはええかっこしいでしたので、見舞いには来るなとは言われてましたが・・・
きっと自分の弱っているところを見せたくなかったのでしょう。

ここにはまだまだ書ききれない事がたくさんあります。

7回忌・・・

お店は継ぐべき方が継ぎ立派に存続しております。

私はまた自分の置かれている環境が変わってしまい、お店に伺う事が
少なくなってしまいました。

その日、あの頃、楽しく一緒に飲んでくださった方々の笑顔にたくさん逢えました。

この七年間、やはり岡山さんの事を考える時間がだんだん減っていたのが
正直なところです。

確かに岡山さんはにぎやかな事が好きだった方だったと思います。

でも、個人的にはやはりにぎやかにはなれませんでした。

7年間、忘れてた事を思い出したり、岡山さんの考え方を再確認したりするのが
私は、個人的には、そういう事が供養だと思っておりました。

もちろん、私の個人的な考え方です。明るいイベントにして、岡山さんに
喜んでもらおうよと思うのが普通だと思います。
私の個人的な考えを押しつけるつもりはありません。

コンサートが始まって、岡山さんの演奏シーンを見たり、歌声を聴いたとき、
いまさらながら『もう、この人、いてないんやわ・・』と思うと凄く悲しくなりました。

嬉しかったのは、岡山さんの愛娘さんがバンドで出演されていたことです。

お父さんの背中を見て育ったのかな?と思うとまた泣けてきたりして・・・

あと、ウッディー・ウーのメンバーで唯一ご存命(こんな書き方でええんかな)の
星野さんが『若い頃、ブルースとかボブ・ディランを僕に教えてくれたのが岡やんでした
今日、初めて岡やんの為に歌います』とおっしゃって、ボブ・ディランの『アイ・ウォント・ユー』を
歌われました。格好良かったです。本当に。




岡山さんの本心なんて、とてもわかるわけがありませんが、
生前、『お前らはええ音楽やってるよ』と色々お褒め頂いた言葉を胸に
なんとか、音楽を続けていけたらと思います。

改めてご冥福をお祈りいたします。

とても個人的な文章になってしまい、すみません。
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