第50回 わかってもらえるさ 

5月3日、久しぶりに高槻ジャズストリート会場内を走るバスの中で演奏する
予定だった(もちろん演奏致しました)私は、いつもよりちょっと早起きして
朝刊に目を通しておりました。いつものように、三面記事
(っていまでも言うのでしょうか?)を見ると「忌野清志郎さん死去」の文字が・・・・


清志郎(敬称略ですみません)も歌っていたように、お別れは突然やってくるんですねえ
日に日につらい気持ちが増していきます。心にぽっかり穴が空いてしまったのは
ジョン・レノン以来かもわかりません。

初めてRCサクセションを見たのは、高1の時でしたか、ヤング・オー・オーか
紅白歌のベストテンだったと思います。翌日登校すると、ロック好きの少人数の
クラスメートからそのテレビ番組の話題を持ち出されたのですが、全員の意見が
「なんやあれ?あれでロックやと思ってるんかなあ?化粧して、暴れたらロックやと
思ってるんとちゃうか?」というものでした。あああ、情けなや。ビートルズはわかるけど
ストーンズはどこがええねん?って感じだったのでしょうか?とにかく、テレビで“ステップ”を
歌う清志郎を見てどこがよいのか全くわかりませんでした。

その後“雨上がりの夜空に”を聴いた時にまさに「ぶっ飛び」ました。僕にとって
日本語で歌われるロックを初めて感じた瞬間でした。
今でも、この曲が唯一日本が世界誇れる日本のロックのスタンダード・ナンバーだと思って
います。黒人音楽に影響を受けた楽曲、ステージング、歌唱法どれを取っても最高でした
そして、日本のロック、ライブ盤の最高傑作、“ラプソディー”を擦り切れる程聴き、
高校生の頃は、特に、RCのカバーを沢山やりました。

死去のニュースから翌日、朝のワイドショーでは各局清志郎の追悼特集コーナーを
放送していました。私が世界一嫌いな人種である「芸能レポーター」たちが、
「反骨、反逆のロッカーでした」などと物知り顔で語っていたのには本当に辟易致しました。
いずれ、清志郎の事をちゃんと本当にわかっている人に追悼特集を組んで欲しいと思います

だいたい、ロックという音楽は大人が嫌な顔をする音楽だったのではないのでしょうか?
もともと、反逆、反抗ってな単語がロックを現す代名詞だったはずです。
それを、偉そうにわかったような顔をしてベラベラしゃべる芸能レポーターを見て
「あきれてものも言えない」私でした。

でも、ライブ会場のような葬儀の様子、子煩悩だったエピソード、歌えなくなる事を恐れて
がんの摘出手術は選択しなかった事。知らなかった事もたくさんあったので、
胸にせまるものがありました。


生前のインタビュー記事で読んだことがあるのですが、
「自分の才能は自分が生きている間に世の中に認められるとは思っていなかった」
とおっしゃっていたことがありました。

そんな事はありません。いけない事はいけないと、どんな大きな権力には歌で
立ち向かう姿勢。つらいことがあったときには、勇気を与える歌声、素敵なラブソング、
貴方の残した物は、みんなの胸に刻まれた事だと思います。月並みないいかたですが、
私も忌野清志郎氏にもらったものを何らかの形で伝承していきたいと思います


謹んでご冥福をお祈りいたします
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