第32回 新春第一弾


年末からザ・フー、ストーンズと映画づいておりますが、
今度は日本のロック映画です。

ドキュメンタリー・フィルムとインタビューで構成された内容。

70年代初頭、日本のロックを描いたドキュメンタリーです。

インタビューは内田裕也、ミッキー・カーチス、遠藤賢司、
近田春夫、中村とうよう、加納秀人、森園勝敏。

演奏フィルムは、フラワー・トラヴェリン・バンド、
頭脳警察、はっぴいえんど、イエロー、遠藤賢司、
ハルヲフォン、ファー・イースト・ファミリー・バンド
クリエイション、四人囃子でした。

実際私が生で見たことがあるのは、ハルヲフォンぐらい

残念だったのは、一番楽しみにしていた動く『村八分』が
ディレクション側の都合により見られなかった事です。

でかい画面で見たかったですねえ、村八分。

マニアックなロック・ファンなら良くご存じだと思いますが
『日本語のロック』というかそもそも日本語で歌ったら
ロックではないみないな論争が70年代初頭、当時の
ニュー・ミュージック・マガジン誌で繰り広げられました。
簡単にいうと、英語で歌わなければロックではない派が内田裕也氏
対立側がミッキー・カーチスという内容。
よくぞ日本語でロック・アルバムを作ってくれたとはっぴいえんどを
絶賛するミッキー・カーチスに対し、内田氏はやはり日本語では
ロックのリズムに乗らないんじゃないかという反論をしておりました。

まあ、一般論でも言える事なんでしょうけども新しい事をやると、
必ずそれを批判する人が出てくるはずなんです。
それを、気にせず(まあ、参考ぐらいにはするでしょうが・・)
我が道を突き進めば良いのではないでしょうか?

人の意見って十人十色なので勿論凄く気になるところでしょうが・・・
でも、それを乗り越えると後世に残る物が作れると思うのです
(特に芸術に関しては。政策は少々違うようですね)

批判されたって、反響はあったって事ですもんねえ?
この、『日本語のロック論争』の座談会で、
はっぴいえんどのメンバーは日本語でロックを歌った要因として、
当たり前のことかもわかりませんが、英語で詩が書けない事を
理由にあげています。日本人なら日本語で歌ったらいいじゃないか
という単純な理由の様です。
映画の中でも、森園氏は『どっちでもよかった。
ただ、歌うのは自分なので、やっぱり日本語の方が
歌いやすい』みたいな事を言ってたと思います。

自分のプロデュースしたバンド(例えば、フラワー・トラヴェリン・バンドなど)
が日本で売れなかったので、内田氏はやきもち妬いてるような
感じにもとれました。
ミッキー氏はやはりキャロルを筆頭として、プロデュース作品に
いくつか成功した物があり、みなさん日本語で歌っていますね。
ヒットした要因も一部その辺にあるのではないでしょうか?
英語で歌ったF・T・Bはカナダでは絶賛されたそうですから・・・

フィルムは、まずぶっとんだのがF・T・B。ジョー・山中の衣装は
パンツ一丁でほとんど○人でした。

京都の円山野外音楽堂でのフィルム。寒くなかったんかしら・・・
曲は『Make Up』ただ、フィルムと音があってなかったので、
実際に演奏している曲は違う曲だと思います。
あとは、四人囃子。当時『日本のピンク・フロイド』と呼ばれていたと思います。
プログレが苦手な私はそういう情報を得ると聴かず嫌いになるのですが、
最近ピンク・フロイドの『狂気』に少しはまった私には四人囃子の
演奏フィルムが印象に残りました。
やっと私のセンスが、70年代初頭のプログレッシヴ・ロックを
理解出来るようになったようです。

インタビューで面白かったのは、加納秀人。
『音楽を命がけでやってた』って発言は何かスクリーンを通じてでも
鬼気迫る物がありました。

残念だったのは、映画からその70年代初頭の時代感を
もうちょっと味わいたかったこと。
実際に演奏しているフィルムをもうちょっと見たかった事
最後、ジプシー・ブラッドの曲をBGMにして、当時のライブハウスの
店内をカメラが動きまわるシーンは個人的にはいまいちでした。

しかし、あっという間の75分でした。日本のロックが好きな方、
日本にロックなんてあるのか?って今でも思っておられる方。
劇場に足を運ばれてみては?

『ロック誕生』The Movement 70’s

http://www.rock-tanjo.jp/

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