第25回  勘弁してもらいたい

10月に入り、会社の物、私物と両方パソコンがクラッシュ(泣)

ダメな私の身代わりになってくれたのでしょうか・・・

何とか、インターネットが繋がり、mixiでも見ようとしてました。

10月19日の良く晴れた朝でした。

前日は、遅くまで、バンドのホームページの管理人とご機嫌に
飲んで帰りました。

二日酔いと寝ぼけ眼の私に飛び込んできた文章に目を疑いました。

18日の夜、我々はご機嫌に飲んでいたのに、違う場所では
こんな事が起こっていたわけです。

そういえば、9.11の時も外で飲んで、夜中タクシーで帰ったな・・



このコーナーにも書いたことがあると思うのですが、大学生になり
ブルースに出会いました。

しかし、しょっちゅう黒人ブルースマンが来日して、いつでもライブが
見られる状況では勿論ありません。

レコードガイドブック、音楽情報誌など見て、日本にもブルース・バンドが
あり、しかも、日本のブルース・シーンの草分け的な存在だったバンドが
解散後、長い年月を経て、また、活動を再開しているとのことを知りました。


当時、付き合っていた彼女に頼み込んで、一緒に行ってもらいました。
(何で、彼女と行ったんやろ?ほんで、別れてしまったのかしら・・・)

大阪バーボンハウスで初めてこのバンドを見た時は、『外タレか・・』と
思うぐらいに凄かった。とにかく、あの高水準の演奏技術を持ったバンドを
間近で見たのはたぶん初めてでした。

それまで、勿論外国のバンドはたくさん見に行って感動もそれなりにして
おりましたが、演奏者と距離も近く、あの臨場感を味わえるライブハウスが
好きになったのも、このバンドを見たのがきっかけだと思います。
彼女は、たばこの煙に辟易してましたが・・・

それから何年か経ったある日、ヴォーカルの方に学生の時のバンド(当時)の演奏
テープを聴いてもらいました。今、考えたら、演奏終了後の楽屋に押し掛け、返信用
封筒なんかも渡さずに大変失礼な事をしてしまった訳ですが・・・・

ある日、学生バンドのヴォーカルから、うわずった声で連絡があり、
「き、きた。返事が来た」

私は個人的に大喜び致しましたが、内容はシビアな物で落ち込んだりもしました。
でも、あの手紙を励みに当時はまた頑張ろうと思ったものでした。
あの、手紙、まだあるんかなあ・・・

後日、お礼を兼ねてライブを見に行きました。ヴォーカルの方にメンバーでお礼を
言うと横に座っていらっしゃったギタリストの方が「また、ええのができたら送って
来たらええがな」とおっしゃってくれました。

これが、塩次伸二さんとの一番の思い出です。

最後に見たのは、5月の春一番でした。

最近は、歌も歌われており、ギターは勿論言うことなし。
見ておいてよかったなと、思います。

この間のウエスト・ロードが見られなかった事が悔やまれます。

本当に、こんな事を言うのもおこがましいですが、微力ながら継承して行きたいと
思っております。

ご冥福をお祈り致します。



訃報:塩次伸二さん 57歳 死去=ギタリスト
塩次伸二さん 57歳(しおつぐ・しんじ=ギタリスト)19日、心不全のため死去。
葬儀は21日午前9時、栃木県佐野市富岡町184の1のセレモニーホール佐野東。
喪主は兄泰久(やすひさ)さん。

 71年に京都で「ウエストロード・ブルースバンド」を結成。ブルースのギタリストとして活躍した。
18日に佐野市で予定されていたライブ前に倒れているのを発見されたという。

毎日新聞 2008年10月20日 東京夕刊
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