第5回 音楽と酒は生に限る。



高校生になると、中学の同級生達も、進学した高校で音楽が好きな
友人が居たようで、聴く音楽の趣味が変わったり、バンドを結成したりします。
友人のあっきんさんは“Brown Sugar”というバンドを結成
(注:マニアックなファンの方の為にお断りさせて頂きますが、レコード・デビューした
ブラウン・シュガーというバンドとは違います。念のため)
20歳過ぎまで、活動していたと思います。

バンド名からもわかるように、ローリング・ストーンズなど、ブルース、R&Bなどを
ルーツとした、音楽をみんな聴き出すようになりました。
もともと、兄のおかげでストーンズ、オールマンズ、B.B.Kingなどは買わなくても
家にありましたので、ちょこちょこ聴いていたのですが、なんか、だる〜い音楽で
イマイチぴんと来ませんでした。

あっきんさんが、自分の高校の文化祭でバンドを演るというので、見に行きました。
その時驚いたのは、もうブラス・セクションを導入し、本格的なサザン・ソウルを
演ろうとしていたことでした。その時コピーしていたのが、オーティス・レディングの
“I Can't Turn You Loose”と言う曲でした。汗をほとばしらせ、シャウトする
あっきんさんは、オーティスが乗り移った様でした。当時、動くオーティスをまだ
見たことが無かったような気がしますが、オーティスを彷彿とさせておりました。

早速、アルバムを購入しようと思い、色々調べてみたのですが、やはりLive盤に
尽きるとの事で、聴いてみたら、もう大ショックで毎日聴いておりました。
これが、R&Bとの出会いです。黒人音楽はやはり生に限る典型的なアルバムです。

また、ある日ボオっと、歌番組を見ていたら、髪の毛をつんつんにたてて、シャウトする歌手がいる
日本のバンドに出逢いました。次の日、学校へ行くと友人達も結構見ていたようで、
「なんや、男のくせに化粧して出てきてっ!あれ、歌の下手さを誤魔化してるんやろなあ?」
「あれ、なんや?ロックか?」と批判的な意見ばかり。でも、友人達も興味心身の様でした。
そこでこれもLive盤を購入。もちろん、ぶっ飛びました。
「雨上がりの夜空に」は日本のロック・スタンダード・ナンバーだと思います。
前述のオーティスがライブ中で聴衆に言う決め台詞を「愛しあってるかい?」に
訳して問いかける清志郎の姿にもしびれました。


そして、本格的に自分でも黒人音楽を演奏するようになっていくのです。


どや?



Otis Redding/Live In Europe(67年 Atco)
モンタレー・ポップ・フェスティバルのパフォーマンスも必聴です。

RC Succesion/Rhapsody(80年 ユニバーサル シグマ)

上田正樹とサウス・トゥ・サウス/この熱い魂を伝えたいんや(75年 Tokuma Japan

 

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