第3回 あれがそうだったのかしら・・・・


小学校高学年の頃、クラスメートにH田君という人が居て
そのお兄さんがなんと高校生でブルーグラスを演奏しておりました。

H田君も当時もうギターを弾いていて、しかも上手いっ!

当時は全くわかりませんでしたが、今思えば、カーターファミリーピッキング
アルペジオ、スリーフィンガーなど、カントリーに不可欠な奏法は
12歳ぐらいにしてほぼマスターしていたと思います。

なんのきっかけか、H田君とも音楽の話になったのですが、
そこで、話題になったのが邦楽、しかも当時の新譜だったのではないでしょうか?
資料を調べると75年発売。初めて聴いたのはその2年後ぐらいだったと思います。
H田君が聴いたのはリリース後すぐだったのかもわかりませんね。

まだまだ、幼い私には前述のプログレよりは、聴いて一発で衝撃を受ける様な
そんな音楽がわかりやすかったように思います。それは、今でもあんまり変わっていません。

実兄に「友達のお兄ちゃん、こんなん聴いてるねんで。」と説明したところ、兄も
欲しいレコードだったようで、翌日に買って帰って来ました。

前にも言いましたが、ちょうど京都はブルース・ブーム。
私が大学生になってブルースを始めた事を
兄に話すと、兄が学生の時は、磔磔や拾得に、ウエストロードや憂歌団、めんたんぴん等を
よく見に言った話をしてくれました。

このアルバムを聴いた瞬間、「なんじゃ、これは?」

アコースティック・ギターで奏でる、ベタベタな大阪の歌。
しゃがれ声がとても魅力的で、ビートルズの歌詞を覚える次に、このアルバムの収録曲を
必死で覚えて小学生の同級生の前で良く歌って笑いを取っていました。
自分の性格と音楽の形成はやはりこの時期に養われていったと思います。

あと、洋楽で影響を受けたのが、未だに、ライブ名盤特集なら必ず上位にランク・インする
このアルバム。
ただ、小学生の私には演奏が長く、残りの曲はあんまり当時聴いておりませんでしたが
だらだらしたバンド紹介〜カウント(誰が言ってるんですかね?)〜イントロに突入する
あのスリル感。小学生の私にもわかったぐらいなので、当時の大人のリスナーにも
十分なインパクトだったと思います。

あれが、最初の『ブルース衝動』だったのかしら・・・・


どや?



ぼちぼちいこか/上田正樹と有山淳司(75年 徳間ジャパンコミュニケーションズ )

“At Fillmore East”/The Allman Brothers Band(71年  ユニバーサル インターナショナル )

 

inserted by FC2 system